ピースアクションinオキナワ「第41回沖縄戦跡・基地めぐり」に参加してきました
2024年3月27日~3月29日
開催場所:沖縄県
参加者:182名
沖縄県生活協同組合と日本生活協同組合共催の「ピースアクションinオキナワ」にいばらきコープから職員1名と組合員理事1名で参加してきました。
今回は5年ぶりに全国の生協から組合員とそのご家族が参加されました。
1日目はダブルツリーbyヒルトン那覇首里城2階首里の間で学習講演・沖縄戦体験者の講演・大学生からの報告がありました。
学習講演では、琉球大学教育学部副学部長の山口剛史さんから平和を正しく学び合い、ひとりひとりが平和について関心を持つことの大切さについてお話を聞きました。
沖縄戦体験者の波平元維(もとしげ)さんは当日体調を崩されて欠席されたため動画で体験談を聴きました。
また、波平さんへの聞き取りをした南信乃介さんは、沖縄でも今の子どもたちは沖縄戦を自分事として考えにくいので平和教育にも工夫が必要だと話していました。
今年3月に大学を卒業したばかりの吉村珠李さんからは、よりよい生活と平和を実現するために大学生協で取り組んできたことの報告がありました。
その後、前後の参加者と講演で印象に残ったことや、次の日からのフィールドワークに期待することなどを話し合いました。
2日目はいよいよフィールドワークです。
私たちは沖縄戦や基地問題を幅広く学ぶことができる「しっかり学ぼうコース」に参加しました。
行程は次の通りです。
辺野古テント村→瀬嵩(せだけ)の浜→伊芸サービスエリアで昼食休憩→チビチリガマ→米軍上陸の地碑→沖縄海底電信線記念碑→道の駅かでな→砂辺馬場公園(バスの車窓から見学)→嘉数高台(トーチカも見学)→青丘之塔
本土からも座り込みに参加する人もいるようですが、年々減少しているそうです。
辺野古・大浦湾は「ホープスポット」にも認定されるほど自然豊かな海です。
この素晴らしい環境を後世に残していきたいですね。
悲しい集団自決があったチビチリガマです。
米軍が最初に上陸した浜から600mしか離れていません。
最初に多くの住民が犠牲になった場所です。
未だ収骨が完了せず遺族の意向により洞内に入ることは禁止されています。
4回の展望所から嘉手納基地が一望できる「道の駅かでな」。
ここには騒音指数の表示板が付いていました。
周辺住民は日夜米軍の戦闘訓練による騒音に悩まされています。
嘉手納基地からすぐの砂辺地区は嘉手納飛行場の騒音により土地を売り出ていく人が後を絶ちません。
その土地を購入しているのは那覇防衛施設局という機関です。
ここでも多額の税金が使われています。
嘉数高台からは普天間基地を一望することが出来ます。
普天間基地の周りには民家や学校、商業施設などが密集しており、世界一危険な基地とも言われています。
今までにも宮森小学校に米軍ヘリの窓枠が落下する事故や、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落する事故などが起きています。
3日目もフィールドワーク。
糸数壕(アブチラガマ)→平和の礎→県立平和祈念資料館
https://abuchiragama.com/(こちらからガマの中の様子が見られます)
糸数壕はもともと周辺住民の避難所でしたが後に日本軍の病院として使われるようになりました。
ガマの中は600名以上の負傷兵で埋め尽くされました。
今回は北部ブロックから預かってきた千羽鶴を奉納させていただきました。
平和の礎は沖縄県平和祈念公園の中にあります。
国籍や軍人、民間人の区別なく沖縄戦などで亡くなられた方の名前が刻まれた記念碑です。
今も刻銘が続いています。
今回参加して改めて今の平和な世界に生きていられることのありがたみを実感すると同時に、私たちひとりひとりが戦争の愚かさを知り、戦争反対の意思表示をしていかなければならないことに気付きました。
平和のために軍隊を持つ必要があるのか、機会があるたびにみんなで考えていくことも大切だと思いました。
戦争体験者の高齢化が進み、生の声を聴ける機会も少なくなっています。
未来の子どもたちが自然豊かな平和な環境の中で生きていけるように、私たちが声を上げていく番だと強く感じました。
直接、歩いて目で見て感じて体験ができるフィールドワークはとても強く心に響いてきます。
沖縄県まで行かなくても茨城県内にも多くの戦跡が残っています。
一度訪れて肌で感じてみてはいかがでしょうか。
今回の「ピースアクションinオキナワ第41回沖縄戦跡・基地めぐり」の特設サイトがあるので是非覗いてみてください。
https://peace.jccu.coop/okinawa/
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